常在戦場の精神の長岡藩


長岡藩(現在の新潟県長岡市)は、「常在戦場」の4文字を藩風・藩訓としています。

「常在戦場(じょうざいせんじょう)」とは、読んで字の如く、「常に戦場にあるの心を持って生き、ことに処す」という意味です。

今でも長岡市に行けば、この「常在戦場」の文字が見られますし、長岡藩軍事総督の河井継之助や連合艦隊司令長官の山本五十六をはじめ、いろんな人が、この「常在戦場」の文字を残しています。


この「常在戦場」が、長岡藩の藩風になったのは、藩主の牧野氏の家風によっています。

牧野氏は、三河国牛久保で名を興した家で、長岡藩初代藩主となる牧野忠成は、徳川十七将に数えられた武将でした。

牧野家の勢力地であった牛久保は、交通の要で、徳川家につく前に今川氏の配下だった牧野氏は、西の徳川・織田氏、北方の武田氏と対峙していました。

今川義元が桶狭間で討ち死にした後、今川家の勢力が衰え始めたため、この牛久保の地に、武田氏や織田・徳川連合軍などが進軍し、牧野氏は常に敵の脅威に晒されることになります。

「常在戦場」の家風が牧野氏に生まれた理由は、こうした四囲に注意せねばならなかった牧野氏の事情によります。


長岡藩には「参州牛久保之壁書」というものがあり、三河国以来の牧野氏の家風を伝えていますが、これにまず書かれているのが、「常在戦場」の4文字です。

牧野氏は、長岡に移ってきてから、明治維新に至るまでの約250年間、この「参州牛久保之壁書」を藩風・藩訓として掲げ続けました。

「常在戦場」は、長岡藩士にとっての精神規範でした。

小林虎三郎の米百俵の精神も、根っこはこの「常在戦場」の精神から来ています。

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