戊辰戦争と戦後の復興


長岡藩は、戊辰戦争で敗れ、敗戦国となってしまいます。

そして、朝廷により、7万4千石だった石高を2万4千石に削られる処分を受けることになります。

戦争により多くの犠牲者を出し、生き残った人たちも、心に傷を負っています。

そんな中、小林虎三郎は、敗戦国長岡の再建に乗り出します。

当時、小林虎三郎は、長岡にあって文武総督という地位にありましたが、その後「長岡藩大参事」に就任します。

それまで政治に携わることができなかった虎三郎にしてみれば、この大参事就任というのは、自分の思想が活かせる喜ばしいものであったと思いますが、敗戦国を立て直し、大幅に減封された財政を運営し、困窮に苦しんでいる藩士や領民を救うというのは、相当の決意がなければできません。

虎三郎は、まずは藩の財政難に直面します。

7万4千石から2万4千石へ約70%もダウンしたわけですから、困窮の度合いがわかると思います。

虎三郎は、学校創設による人材育成こそが敗戦国の復興にとって肝要であると考えていましたが、この状況下では、役所の運営費用すらままならず、学校創設に回せる資金もありません。

虎三郎は政府に対して、役所の運営費用や藩士への俸米を支給してほしいと願い出ます。

しかし、新政府の方では新政府を建設するのに忙しく、こうした訴えには応えることができませんでした。

そのため、藩士に対し、「他郷への移住」や「北海道開拓への従事」、「帰農帰商の奨励」といったことを布告することになります。

どれも厳しいものですが、当時の困窮ぶりがよくわかります。

ただ、虎三郎はこうした状況の中でも、「学校創設」への思いは捨てていません。

これが「米百俵の精神」へと繋がっていきます。

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